なぜ、男鹿高原駅は存在するのか

動機

 身近に秘境駅がないか検索していた時、大自然の中にある男鹿高原駅が目に止まった。男鹿高原駅とは、栃木県日光市にある野岩鉄道会津鬼怒川線の駅である。そこへ行ってみたいと思い、調べてみたところ、1日の平均乗車人員が1人未満だったことに驚いた。それなのになぜ駅が廃止されないのか気になり、調べてみることにした。

仮説

  1. 存在しなければならないような重要な設備があるのではないか。
  2. 昔、駅周辺が栄えていたのではないか。

鉄道を走っている数々の木

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検証

  1. 駅とその周辺を調べる。
  2. 駅の歴史を調べる。

検証方法

  1. 実際に男鹿高原駅とその周辺に行ってみる。
  2. 男鹿高原駅の歴史についてインターネットで調べる。

建物, 屋外, 道路, トラック が含まれている画像

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検証結果

  1. ホームは1面1線で待合所しかなかった。(トイレや自動販売機すらなかった)出口へつながる階段を上るとベンチがポツンと置いてあり、右に曲がるとすぐ出口だった。駅を出ると国道へ続く小道があり、少し進むと野岩鉄道株式会社男鹿高原変電所と男鹿高原駅前広場緊急ヘリポートがあり、それ以外は特に何もなかった。

 国道沿いには数件の閉店した飲食店があったが、いずれも小道からは離れていて、周辺に民家はなかった。

窓のそばに置かれているベンチ

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オレンジ, 椅子, 座る, テーブル が含まれている画像

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  1. 野岩鉄道は1922(大正11)年に敷設予定計画が定められたことが始まりだったが、具体的に着手されたのは1966年(昭和41)年になってからだ。日本鉄道建設公団が建設を始めたものの、国鉄の赤字縮小の為に制定された国鉄再建法の適用により、途中まで建設が進んでいた藤原-会津滝の原間の工事が凍結され、完成が危ぶまれた。そこで官民が出資して第三セクター方式で、1981(昭和56)年11月20日に野岩鉄道株式会社が設立された。ようやく完成したのが1986(昭和61)年10月9日。この野岩鉄道会津鬼怒川線の開通とともに男鹿高原駅が開業した。

考察

 山間の駅なので登山客のための駅という考えもよぎったが、そもそも利用者が少ない。駅周辺には変電所とヘリポートしかなかったので、おそらく変電所へ行くための駅ではないかと推測した。※近くに国道もあるが、この地域は冬、雪深くなる。それを考慮した。

しかし、決定打に欠けると思い、野岩鉄道株式会社に問い合わせしたところ、

「鉄道利用者は少ないものの、周辺には多少の集落が存在し居住する方もおられ、自治体による移住者誘致などの取組もあり、将来的に鉄道を利用する若い世代の方の居住が見込めないわけではないため、地域の足を担う公益企業として、その足を確保するために存続しています。」

という返事をいただいた。

感想

 今回は男鹿高原駅について調べたが、日本にはまだたくさん秘境駅がある。他の秘境駅についてもその存在意義などがそれぞれあると思うので、引き続き調べてみたいと思った。

参考文献

野岩鉄道株式会社ホームページ 閲覧日2021年12月28日

http://www.yagan.co.jp

鉄道グッズ買取クジラ堂 野岩鉄道とその歴史 閲覧日2022年1月3日

https://www.tetsudo-kujira.com/4489/